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- 2024年10月31日 (木) 10:37 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第三篇/第一章」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第三篇 退化呪法時代 ==第一章 巫道を退化させた当代の世相== * 第一節 巫女の流派と是れに対する官憲の態度<br /><small>我国の迷信は室町期に集成さる—日本迷信史における黄金時代—江戸期と重刑主義—巫女の流派も混糅されて判然せぬ—紀州熊野系と加賀白山系—丹…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:37 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第三篇」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 ==第三篇 退化呪法時代== * 第一章 巫道を退化させた当代の世相 ** 第一節 巫女の流派と是れに対する官憲の態度<br /><small>我国の迷信は室町期に集成さる—日本迷信史における黄金時代—江戸期と重刑主義—巫女の流派も混糅されて判然せぬ—紀州熊野系と加賀白…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:37 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第六章/第三節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第六章 巫女の社会的地位と其の生活 ==第三節 巫女の流せる弊害と其の禁断== 巫女教であった原始神道が、時勢に促されて神社神道となり、更に政治的の意味が加って、国体神道とまで発達するようになれば、従来は正信と認識されていた巫女の言行は、…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:36 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第六章/第二節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第六章 巫女の社会的地位と其の生活 ==第二節 巫女の給分と其の風俗== 巫女の給分及びその収入等に就いては、神社に附属せる<ruby><rb>神和</rb><rp>(</rp><rt>カンナギ</rt><rp>)</rp></ruby>系の神子と、町村に土着せる<ruby><rb>口寄</rb><rp>(</rp><rt>クチヨセ</rt><rp>…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:36 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第六章/第一節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第六章 巫女の社会的地位と其の生活 ==第一節 歌舞音楽の保存者としての巫女== 神懸りにおいて舞踊を発明し、歌謡の源流である叙事詩を生んだ巫女が、更に是等を発達に導き、併せてその保存者となるべき地位に置かれるのは、寧ろ当然の帰結である。…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:36 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第六章」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 ==第六章 巫女の社会的地位と其の生活== * 第一節 歌舞音楽の保存者としての巫女<br /><small>歌占の発達と巫女の詩人的素養—平家物語と安居院神道集—謡曲の題材となった歌占—複雑せる巫女と傀儡女との交渉—新猿楽記の一節—巫女と遊女と傀儡…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:36 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第五章/第四節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第五章 呪術方面に現われた巫道の新義 ==第四節 巫女の間に用いられた隠語== 巫女が呪術の際に用いた隠語は、その時代により、更にその流派(又は師承)により、必ずや異ったものが存したように想われるけれども、遺憾ながら、詳しいことは、寡見に…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:35 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第五章/第三節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第五章 呪術方面に現われた巫道の新義 ==第三節 性器利用の呪術と巫女の異相== 男女の性器に呪力ありとした民間信仰は、古代から存したことは既記の如くであるが、更に巫女が娼婦化し、巫道が堕落するようになってから、此の信仰が、一段と助長した…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:35 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第五章/第二節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第五章 呪術方面に現われた巫道の新義 ==第二節 奥州に残存せるオシラ神の考察== 陸中国を中心として、陸前と陸奥と羽後の各一部にかけ、イタコと称する巫女の持っているオシラ神なるものは、我が民俗学会における久しい宿題であって、今に定説を見…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:35 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第五章/第一節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第五章 呪術方面に現われた巫道の新義 ==第一節 巫蠱から学んだ憑き物の考察== 我国における蠱術は、巫女よりは修験道の山伏が、深い関係を有していた。巫女がこれに交渉を持つようになったのは、恐らく山伏と性的共同生活を送るようになってから、…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:35 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第五章」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 ==第五章 呪術方面に現われた巫道の新義== * 第一節 巫蠱から学んだ憑き物の考察<br /><small>憑き物と持物筋—オサキ狐クダ狐ジン狐など—狐崇拝と吒吉尼の邪法—蛇神託とトウビョウ—トウビョウは蛇か狐か所で違う—犬神と猫神と狸神—一向宗の…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:34 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第四章/第三節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第四章 巫女の漂泊生活と其の足跡 ==第三節 漂泊巫女の代表的人物八百比丘尼== 若狭国の八百比丘尼——苟くも我国の民間伝承に興味を有った者で、更に巫女の考察に趣味を有った者で、恐らく此の名を知らぬ者は無かろうと思われるほどの有名な人物で…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:34 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第四章/第二節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第四章 巫女の漂泊生活と其の足跡 ==第二節 笈伝説に隠れた巫女の漂泊と土着== 我国には古くから、笈に納めて背負うて来た神体、又は仏像が遽に重量を加え、人力を以て動かすことが出来ぬままに、遂にその土地に祀ったという伝説が、各地に亘り、殆…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:34 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第四章/第一節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第四章 巫女の漂泊生活と其の足跡 ==第一節 熊野信仰の隆替と巫道への影響== 紀州の熊野神社は、古代に出雲の熊野から移住した民族が遷宮奉祀したものであるが、平安期に至り、朝野を通じて、熾烈なる信仰を集めるようになった。宇多帝より亀山帝に…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:33 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第四章」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 ==第四章 巫女の漂泊生活と其の足跡== * 第一節 熊野信仰の隆替と巫道への影響<br /><small>海内の信仰を集めた熊野神—今に残る蟻の熊野参りの俚諺—熊野神が民間信仰を集めた理由—馴子舞の蔭に隠れた熊野巫女の活躍—絵解き比丘尼から売り比丘…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:33 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第三章/第七節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第三章 巫女の信仰的生活と性的生活 ==第七節 女系相続制と巫女堕落の関係== 平安期を境界線として、巫女の堕落が殊に著しくなったのは、勿論、幾多の原因が在って存したことは言うまでもない。想い出すままを数えて見ても、(一)時勢と環境とが淫…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:33 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第三章/第六節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第三章 巫女の信仰的生活と性的生活 ==第六節 采女制度の崩壊と巫女の堕落== 采女の制度は国初期から平安朝まで行われて来たが、藤氏繁葉の放漫政策は、漸く帝室費の窮乏を来たし、その中期以降は、采女の徴募は絶えてしまった。かくて宮中には采女…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:33 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第三章/第五節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第三章 巫女の信仰的生活と性的生活 ==第五節 神妻より巫娼への過程== 「万葉集」巻十六に『吾が門に千鳥しばなく起きよ起きよ、吾が一夜妻人に知らゆな』という短歌が載せてある。而して此の短歌は、平安期に刪定を経て『庭鳥はかけろと鳴きぬ起き…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:32 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第三章/第四節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第三章 巫女の信仰的生活と性的生活 ==第四節 巫女を通じて行われた神の浄化== 「元享釈書」の僧行基伝にある一節は、元より荒唐無稽の説であることは、敢て平田篤胤翁の考証を俟つまでもなく〔一〕、多少の注意を払って読書する者ならば、誰でも気…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:32 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第三章/第三節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第三章 巫女の信仰的生活と性的生活 ==第三節 社会相に現われたる巫女の勢力== 奈良朝の情熱歌人であった山上憶良が、天平五年三月に記した「沈痾自哀文」の一節に、 : 我何罪を犯し此重疾に遭ふ、初めて痾に沈みて已来年月稍久し(中略)。禍の伏…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:32 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第三章/第二節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第三章 巫女の信仰的生活と性的生活 ==第二節 巫女神信仰の由来と巫女の位置== 記・紀・風土記及び延喜の神名帳に現れた<ruby><rb>御子神</rb><rp>(</rp><rt>ミコカミ</rt><rp>)</rp></ruby>を、悉く巫女関係の神と云うことは許されぬまでも、此のうちの幾神かは…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:32 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第三章/第一節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第三章 巫女の信仰的生活と性的生活 ==第一節 巫女を中心として見たる神々の起伏== 「琉球国旧記」を読むと、同国の神々は正しい名の外に、必ず「イベ名」というのを、一つか二つほど有っている。チャンバレン氏は、此のイベ名は内地の<ruby><rb>諱</rb>…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:31 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第三章」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 ==第三章 巫女の信仰的生活と性的生活== * 第一節 巫女を中心として見たる神々の起伏<br /><small>琉球神のイベ名の研究—ノロは神の名を創作する—我が内地には斯かる事はないか—琉球における神の高下とノロの関係—八幡社は我国第一の託宣好き…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:31 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第二章/第四節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第二章 修験道の発達と巫道との関係 ==第四節 生活の機構が導いた両者の性的結合== 弘安年中に僧無住の書いた「沙石集」は、鎌倉期の世相を考覈するには、有要なる史料で満たされている。その巻七「無嫉妬之心人ノ事」と題する記事の末節に、 : 或…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:31 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第二章/第三節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第二章 修験道の発達と巫道との関係 ==第三節 修験道から学んだ巫女の偶像崇拝== thumb|オシラ神を遊せるオカミン (陸前国佐沼町にてネフスキー氏撮影) 巫女は自身が神その者であったので、従って自身が他人から崇拝を受くるとも…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:31 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第二章/第二節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第二章 修験道の発達と巫道との関係 ==第二節 神降の呪文に見えた両者の交渉== 謡曲「葵ノ上」を読むと、朝日の巫女が<ruby><rb>神降</rb><rp>(</rp><rt>カミオロ</rt><rp>)</rp></ruby>しの呪文として、『<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>ヨ</rt><rp>)</rp></ruby>りましは今ぞ…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:30 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第二章/第一節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第二章 修験道の発達と巫道との関係 ==第一節 憑り祈祷に現われた両者の交渉== 修験道は、奈良朝において、役ノ小角が開いたものだと伝えられている〔一〕。私は小角が創めた当時の修験道が、如何なるものであったかは詳しく知らぬが、後世の是等の…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:30 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第二章」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 ==第二章 修験道の発達と巫道との関係== 明治四年に、全国の修験道に属する修験者(俗に山伏と云った)を廃止した時の第一の理由は、修験は神社と異り、一定の氏子を有せず、更に寺院と違い、一定の檀徒を持たぬためであったと聞いている。維新の際の宗教行政には、今から考えて…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:30 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第一章/第二節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第一章 神道に習合せる道仏二教 ==第二節 巫道に影響した仏法の教相と事相== 欽明朝に仏教が公けに渡来し〔一〕、奈良朝に夙くも端を発した本地垂跡説は、平安朝において漸く完成し、神仏一如の教えは弘く通じ、和光同塵の実は普く行われるようにな…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:30 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第一章/第一節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 第一章 神道に習合せる道仏二教 ==第一節 巫女の呪術に現われたる道教の影響== 元来、日本と韓国は同祖であり、同域であったと考えている〔一〕。従って、素尊が韓地に跡を垂れたとか、神武帝の皇兄稲氷尊が新羅に往かれたとか云う伝説のあるのも、…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:29 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇/第一章」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第二篇 習合呪法時代 ==第一章 神道に習合せる道仏二教== * 第一節 巫女の呪術に現われたる道教の影響<br /><small>日韓は同祖であり同域である—日支の交通も太古から—姓氏録に載せた夥しき蕃別—古神道に織り込まれた支那上代の信仰—道教思想に養われた呪術—仁徳…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:29 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第二篇」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 ==第二篇 習合呪法時代== * 第一章 神道に習合せる道仏二教 ** 第一節 巫女の呪術に現われたる道教の影響<br /><small>日韓は同祖であり同域である—日支の交通も太古から—姓氏録に載せた夥しき蕃別—古神道に織り込まれた支那上代の信仰—道教思想に養われた呪…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:00 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第八章/第六節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第八章 物質文化に於ける巫女の職務 ==第六節 航海の守護者としての巫女== 「魏志」の倭人伝の一節に、 : 其行来渡海詣中国、恒使一人、不梳頭、不去蟻蝨、衣服垢汚、不食肉、不近婦人、如喪人、名之為持衰云々。 とある。此の持衰と称する者の民俗…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:00 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第八章/第五節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第八章 物質文化に於ける巫女の職務 ==第五節 収税者としての巫女== これも漢字通の後藤朝太郎氏から聴いた話であるが、税という字は「説文」によると、扁の禾は稲を意味し、作りの兌は冠を被った人の意味で、即ち神に仕えた巫覡が、民衆から稲を収…」)
- 2024年10月31日 (木) 10:00 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第八章/第四節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第八章 物質文化に於ける巫女の職務 ==第四節 医術者としての巫女== 荒木田久老の「<u>くし</u>考」を読むと、<u>くし</u>は酒の古名であって「仲哀記」に『この御酒は吾が御酒ならず、<u>くし</u>の神、常世にいます、石たたす少名御神の』云々とある<u>く…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:59 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第八章/第三節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第八章 物質文化に於ける巫女の職務 ==第三節 農業に於ける巫女== 豊葦原の瑞穂国といわれただけに、農業と巫女との関係は、狩猟のそれよりも、一段と明確に知ることが出来るのである。由来、我国における穀物神——即ち農業神の研究は、原始神道の…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:59 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第八章/第二節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第八章 物質文化に於ける巫女の職務 ==第二節 狩猟に於ける巫女== 我国に狩猟時代が有ったか、無かったかに就いては、文献の上からは、明確に知ることが出来ない。否、文献にのみ拠れば、我国は開闢の当時から、既に農耕時代に入っているように記さ…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:59 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第八章/第一節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第八章 物質文化に於ける巫女の職務 ==第一節 戦争に於ける巫女== 平安朝における宮廷歌人の一頭目とも見るべき藤原為家の歌に『胡沙吹かば曇りもぞする陸奥の、蝦夷には見せじ秋の夜の月』というのがある。従来、此の短歌に就いては、胡沙は蝦夷人…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:59 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第八章」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 ==第八章 物質文化に於ける巫女の職務== 巫女は職務として、人間を詛う方面と、事象を占う方面との両面を有していた事は屡述した。此の立場に起って巫女の職務を分類する方が、精神文化の物質文化のと分類するよりは妥当であると一度は気が付いたのであるけれども、更に巫女の職…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:58 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第七章/第六節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第七章 精神文化に於ける巫女の職務 ==第六節 民俗芸術者としての巫女== 茲に民俗芸術とは、第一に舞踊、第二に木偶遣い、第三に文身の、三つを意味しているものと承知せられたい。私は此の三つと巫女との関係に就いて記述する。 '''一、舞踊者とし…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:58 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第七章/第五節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第七章 精神文化に於ける巫女の職務 ==第五節 文学の母胎としての巫女== 紀貫之は「古今和歌集」の序において、我国の文学の発生を説いて『やまと歌は人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける(中略)。この歌天地の開けはじまりける時より出来…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:58 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第七章/第四節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第七章 精神文化に於ける巫女の職務 ==第四節 予言者としての巫女== 巫女の最も重大なる職務は、予言者としてである。若し巫女の職務のうちから、此の部分を除き去るとすれば、その大半まで失われてしまうことになるのである。天候に、戦争に、狩猟…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:58 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第七章/第三節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第七章 精神文化に於ける巫女の職務 ==第三節 霊媒者としての巫女== 我が古代人が、高天原に在す神々を地上に<ruby><rb>招</rb><rp>(</rp><rt>オ</rt><rp>)</rp></ruby>ぎ<ruby><rb>降</rb><rp>(</rp><rt>オロ</rt><rp>)</rp></ruby>すに就いて、如何なる方法が最も原始的かとい…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:57 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第七章/第二節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第七章 精神文化に於ける巫女の職務 ==第二節 司祭者としての巫女== 神その者であった巫女は、同時に神に斎く祭官であった。然るに時代の暢達は、神々を発達させた反対に、漸く巫女の社会的地位を引き下げるようになり、巫女も後には神託を宣べる時…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:57 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第七章/第一節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第七章 精神文化に於ける巫女の職務 ==第一節 神その者としての巫女== 巫女の発生を「をなり神」の信仰にあると考えた私は、更に神その者としての巫女の位置を説かねばならぬのであるが、我が古代の文献に現われたところでは、既記の如く、巫女の社…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:57 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第七章」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 ==第七章 精神文化に於ける巫女の職務== 巫女の職務を説くに当り、私はそれを精神文化と物質文化の二つに区分して記述することとした。勿論、此の区分は、自分ながらも、決して学術的であると考えているものではない。全体、私が改めて言うまでもなく、巫女の職務といえば、その…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:57 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第六章/第三節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第六章 巫女の性格変換と其生活 ==第三節 巫女の私生活は判然せぬ== 古代の巫女の修行や、師承関係や、その給分の実際等に就いては、私の寡聞のためか、皆目知ることが出来ぬのである。全国の女性が、悉く巫女的生活を営んでいたとは云うものの、純…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:56 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第六章/第二節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第六章 巫女の性格変換と其生活 ==第二節 人身御供となった巫女== 我が古代に、人身御供というが如き野蛮事が、民俗として行われたか、否かに就いては、先輩の間に異論もあったが、現在では此の民俗の存したことは、単なる文献や伝説ばかりでなく、…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:56 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第六章/第一節」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 第六章 巫女の性格変換と其生活 ==第一節 神人生活と性格の変換== 原始時代の巫女は、神その者であった。従って俗人の如く結婚することは、神性を汚すものとして、自ら戒めていた。卑弥呼が年長ずるも夫婿の無かった理由である。次に巫女が神の憑り…」)
- 2024年10月31日 (木) 09:56 Y トーク 投稿記録 がページ「日本巫女史/第一篇/第六章」を作成しました (ページの作成:「日本巫女史 第一篇 固有呪法時代 ==第六章 巫女の性格変換と其生活== 古代の巫女に関しては、まだ記述すべき幾多の問題が残されているが、それでなくとも第一篇が余りに長くなり過ぎる嫌いがあるので、大体の輪郭だけでも全速力で書いてしまいたいと思う。全体、私が本書を起稿するに際して…」)